歴史と文化
その歴史をゆっくりとたどると、そこには遥かな時を超えて、眠り続ける心があります。いつもと同じ、見慣れている風景のその中に、思いがけずに出遭う、いつもと違う風景があります。
古代からの囁き・・・雷神山古墳
雷神山古墳は、東北に残る古墳の中でも、全長168mの最大規模を誇り、四世紀末から五世紀初頭に作られた大型前方後円墳と推定されています。
墳丘上には、雷神をまつった祠があり、それに由来して「雷神山古墳」とよぶようになりました。
規模などから見てもかなり広い地域を支配していた首長のものと推定されています。古墳はできるだけ現状保存に努め、現在は自然の多く残っている史跡公園として、県内外の多くの人の憩いの場として親しまれています。
光源氏のモデル・・・中将藤原実方朝臣
かの光源氏のモデルといわれ、美貌と風流を兼ね備えた貴公子、実方朝臣
中古三六歌仙の一人中将藤原実方朝臣(ふじわらさねかたあそん)は、藤原一門の中でも由緒ある家柄に生まれ、美貌と風流を兼ね備えた貴公子としてしられていました。
が、ある時、藤原行成に批判されたことに腹を立て、殿上で行成の冠を庭へ投げ捨てます。これを見た天皇がその無礼を怒り、中将をやめさせ、陸奥守に任じました。
四年の任期終了を間近にし、ここ名取郡笠島道祖神の前を通りすぎようとした時、土地の人が祈願を薦めましたが、実方は、「それは下品な神である。下馬するには及ばない」と通り過ぎようとしました。
すると、突然馬が暴れて実方は落馬し、手当ての甲斐なくその怪我が元で長徳四年、ここ名取の地で命を落としたのです。
ここ名取には、実方の墓があり、暴走した馬を静めたという「馬停地(またてち)」、実方の屍をさらしたという「尸崎(かばねさき)」などの実方由来の地名が残っています。